ミニマリストやノンデュアリティ

あまり書く事もないのに、書き始めてしまった。

私、40代、孤独。

 

家の中には、キラキラと奇跡の時間を生きている美しい子供が一人。

あまりに美しくて泣ける時があります。

 

だから私も、奇跡のいまに生きている訳ですが、

その「永遠のいま」の美しさが本当の意味でわからないもどかしさ。

ゆえに苦悩があります。

人生に飽き、幻滅し、希望もないのに「永遠のいま」がわからない。

 

最近、ミニマリストやノンデュアリティをネットで見かけるようになってきました。

ミニマリストはかなり流行中ですね。

 

物を減らし、自分のやりたい事、したくない事。思考の整理をし。

いまここの場を楽しむ。味わう。そういう方が増えてきました。

 

物を減らすという物理的な行為で、所有という幻想を断ち切る。

思考がいかに自作自演の幻か見破る。

ミニマムな暮らし方の人の中に

正にノンデュアリティな状態に思える文章をちらほら見かけます。

 

ノンデュアリティ(非二元)は、結局、あると思っていた私自身さえいませんよ〜、

所有出来ているものなんか何一つありませんよ〜、

本当は生まれて死ぬものなんてありませんよ〜。

みたいな取りつく島のないストーリーですし、

私自身は、そのチラ見しかしたことがないので、そのストーリーは、そのメッセンジャーの方に委ねます。

 

でもチラ見したがゆえに、この世が正に夢の中のような世界で

何か為さなければならないものもなく。

意味のあるものもなく。

ただあるだけ、なぜかある世界。

 

でもいまここがそこ。

いまここもそこなんです。

そこから離れたことなんてないのに、いま見えない、わからない。

私の周りの全てがそこなんです。私も。

机もコップもパソコンもテレビもゴキブリも空気もうんちも全てがそこ。

「あるだけがある」

でもこのシンプルさがわからない。